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文化年間に徳川幕府が再興した当時は、桁行6間、染間5.5間、一重寄棟造、茅葺きであった。 その後(おそらく天保年間)、後側に桁行6間、染間3.5間を増築したようである。現在、復元された建物はこの増築後の姿である。 |
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(旧庫裡) |
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再興当初の規模は4.5間に6.5間であったが、現在の修復後のものは6間に8.5間の大きさになっている。これも天保年間に修復されたときに増築したものであろう。
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慶長年間に松前藩が再興したと伝えられる善光寺があった場所が、この地蔵堂の境内である。
当初の建物は現存してはいないが、9尺に2間程度のもので あったらしい。亨和年間に焼失したらしく、仮の堂宇で凌いで いたと云う。
幕末再興時にこの地の北西700mの位置に本堂・庫裡が建立された後、これも修復し地蔵堂としたらしい。その後大正8年に新築され幾度かの修復を得て経て現在に至っている。 |
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文化年間には鐘楼建設の記録はなく、以後、幕末までに描き残された絵図等により存在を伺わせるものはない。天保7年、安政5年に堂宇の修理が行われており、その折りに建設された可能性はある。明確な記録は明治30年に新築、その後に梵鐘も新鋳されていることである。この梵鐘は戦争中、軍に供出させられ、昭和24年に新鋳された。 |
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